一般社団法人 GREEN ZONE JAPAN の設立に先立ち、2017年6月、カンナビノイド研究の世界的権威であるイーサン・ルッソ博士をアメリカからお招きし、昭和大学、東京大学医学部付属病院、国立がん研究センター、熊本大学医学部付属病院で、主に医療従事者を対象に講演をしていただきました。 熊本大学での講演を終えた博士に、GREEN ZONE JAPAN 理事の正高と三木がお話を伺いました。
GREEN ZONE JAPAN(以下 GZJ): では、がんの治療についてはどうでしょう。
Ethan Russo 博士(以下 ER): がん患者にカンナビス由来の薬を使う目的は二通りあります。一つ目はよく知られている使い方で、対症療法として使うもの。たとえば一部のがんは疼痛を伴いますね。カンナビス由来薬は、がん性の痛みを緩和するための補助薬として非常に効果があることがわかっています。また、化学療法がときに吐き気や嘔吐を引き起こすことはよく知られています。カンナビノイドには、吐き気を抑える効果があるものが数種あり、従来の制吐剤よりもよく効くケースもあります。まだ抗がん剤を投与される前なのに、病院に行っただけで吐き気がする「予期性悪心」にも効果があります。さらにがん患者はこうした問題があるために夜ぐっすり眠れないことが多いのですが、カンナビスは症状を和らげることで睡眠も改善します。他にも食欲低下の改善、うつ症状の緩和など色々な効用があります。
さらに近年、対症療法にとどまらず、カンナビノイドががんの根本療法として使えるということがわかってきています。つまりカンナビノイドが抗がん剤のように機能するのです。この場合の重要な利点は、従来の抗がん剤が正常細胞にも有害であるのに対し、カンナビノイドはがん細胞にのみ作用し、正常細胞には影響を与えないということです。それが良いところ。一方で問題点としては、カンナビノイドをがんの根本療法として使うには、非常な高用量を長期間摂取する必要があるということです。
GZJ: 特にどういう種類のがんに効くのですか?
ER: 素晴らしいことに、実験の対象となったがん種はほとんどすべて、カンナビノイドのどれかに反応を示しています。そして複数のカンナビノイドを組み合わせるとさらに効果が高まるようです。
一つ例をとって説明しましょう。現在のところ、脳の悪性腫瘍、中でも多形性膠芽腫のような悪性度の高いものに関しては、治療の選択肢は非常に限られています。ずっと以前、私が開業医だった頃は、多形性膠芽腫と診断された人の余命はだいたい6ヶ月でした。現在でも1年以上生きる人は少数です。しかし、高用量のカンナビス由来薬を摂ったところ――できればテモゾロミドという従来型の抗がん剤と併用するのが望ましいのですが――画面検査上、腫瘍が完全に消失したという症例が報告されています。またその場合、腫瘍が消えた後もカンナビノイドを摂取し続けることで長期間再発が防げるという結果も出ています。
ただしこの場合でも「治癒」という言葉は使うべきではありません。一般的に、ほとんどの種類のがんは、5年間無がんの状態が続かないと「治癒した」とは言えませんし、その場合ですら、長い期間が過ぎた後で再発するケースもあるからです。
※注: 治癒(cure)ではなく完全寛解(complete remission)という表現を使用するのが一般的。このように治癒という表現を使うことに慎重なのは一つには、アメリカが訴訟社会である事との関係が大きいと思われる。
GZJ: カンナビノイドは従来型の治療と併用すると最も効果が高いとおっしゃいました。でも病院ではカンナビス由来薬を処方することはできないわけですね。では、抗がん剤治療を行っているがん患者はどうやって医療大麻を「併用」するのでしょうか。自宅で使う、ということですか?
ER: まあそれがわかりやすい方法ですね。抗がん剤治療を受けに病院に行く前に、朝、自宅で医療大麻を使い、夜、帰宅してから再び使うとか。ただもちろん、医療大麻を使うためには超えなければならない障害がある、というのは日本に限らず、世界各地が同様の状況です。
GZJ: でもアメリカには、自分の患者が医療大麻も使っているということを知っていて、それを理解してくれる医師がいるわけですね?
ER: そう思います。医師は自分の患者がカンナビスを併用している事を把握しているべきでしょう。カンナビスに限らず、医師と患者が治療上の情報を共有することは常に重要だと思いますから。ただしカンナビスに関しては、それが必ず可能とは限りません。まだまだ偏見は残っていますからね。
強調しておきますが、医療大麻のみで必ずがんが治ると安易には考えないことです。そういうこともあり得ますが、さまざまな研究結果は、手術、化学療法、放射線治療などの従来型治療との併用が最も効果があることを示しています。
GZJ: 日本で医療大麻の使用を望む人は、従来型の治療、中でも抗がん剤治療は体に害しか及ぼさないと考える傾向があるのですが。
ER: 抗がん剤治療はたしかに辛いものですが、害しかないわけではありません。私が子どもの頃は、がんと言えばまず助からないものでした。良い例が急性リンパ性白血病ですが、1950年代にはこの病気で助かる人はいませんでしたよ。でも今は、大部分の人はこの病気を克服しているように見えます。これは化学療法のおかげですよ。ただ、化学療法が安全で楽な治療法だと言う人はいないと思いますが。辛い治療ですよ。
医療大麻を従来型治療と併用することの利点の一つは、抗がん剤治療を完遂するのを助ける、ということです。だって、吐いてばかりで死にそうに辛かったら、抗がん剤治療を続けることはできないでしょう? 抗がん剤であまりにも気分が悪いので途中で治療を放棄せざるを得ない人も多いんですよ。医療大麻を併用するという選択肢があるだけで、抗がん剤治療を最後までやり通して最良の治療結果が出やすくなるかもしれません。
GZJ: アメリカが抱える問題の一つは医学教育にあると博士はおっしゃいました。エンドカンナビノイド・システムのことは医学部の履修過程に含まれていないわけですね。このような、比較的新しく発見された人間の体内のシステムが履修過程に取り入れられるためには、何が必要なんでしょうか?
ER: 正直なところ私にはわかりません。ある人が、カンナビスに医療効果があることを認めるようになるきっかけで多いのは、自分自身や身近な人の中ががんなどの病気になり、医療大麻がどれほど役に立つかを自分の経験から知るというケースです。これはかなり手痛いレッスンですが、非常によくあることです。アメリカの政治家は、公職を離れてから医療大麻に対する考え方を改める人が多いですね、まるでやっと自由に自分の思うことを言えるようになったかのように。公職にいたときは何もしなかったくせにね。非常に腹が立ちますよ。
それはともかく、エンドカンナビノイド・システムを医学部で教えない、というのは、どう考えてもおかしな話です。大麻草という植物はさておき、エンドカンナビノイド・システムというのは進化の過程で人類よりずっと古くから存在し、大麻草よりも古いものです。昆虫を除くすべての動物がエンドカンナビノイド・システムを持っています。脊椎動物にはすべて備わっているんですよ。THC が作用する CB1 受容体は、脳内で最も数多く発現している受容体です。それ以外のすべての受容体を足し合わせた合計数よりも多いんですよ。神経系やその他のさまざまな系の機能の調節に、エンドカンナビノイド・システムが重要な役割を果たしているのは明らかです。
ですから、なぜエンドカンナビノイド・システムについて教えることが大事なのかと訊かれれば、私はこう答えます。現代の医学においては、すべての疾病のメカニズムについて、エンドカンナビノイド・システムの関与を考慮すべきなのです。それは別に、治療に医療大麻を使わなければいけないということではありません。ある疾病においてエンドカンナビノイド・システムが果たしている役割、病態生理について理解することは、さまざまな形で将来的に治療にも役に立つはずです。
GZJ: 州立大学では履修過程に組み込むのが難しいけれども、私立大学でならそれが可能なのでしょうか?
ER: いや、そういう問題ではと思いますよ、だってエンドカンナビノイド・システム自体は大麻草とは関係ないんですから。要は、人間の体がどのように機能するか、という話なのです。人間の身体の機能を本当に理解したいのなら、エンドカンナビノイド・システムを無視することなどできません。体全体を網羅しているんですから。体のほとんどすべての機能と関連しているんですよ。
GZJ: それなのになぜ教えないんでしょう。
ER: 無知と偏見、としかお答えできません。これは重要だ、と旗を振って皆に知らせようと努力はしていますが、今の時点ではまだ必要な人にそれが伝わっていないのです。
GZJ: 状況は変化していますか?
ER: ゆっくりとね。以前は「氷河のようにゆっくりと」という言い方をしていましたが、最近はその表現は使いません。氷河の流れが速くなってしまいましたからね。変化は非常にゆっくりと起きています。
GZJ: 日本が抱える大きな社会問題の一つに、自殺者が多いということがあります。統計上で数えられているだけでも、毎年3万人近くが自殺しています。
ER: 原因は何なんですか?
GZJ: 色々な要素が絡んで複雑だと思いますが…。ただ、働き盛りの男性の自殺率が非常に高いのが特徴です。
ER: そうだとしたら、うつ病が関連している可能性が高いわけですね。医師の間では昔から、現代医学が最も対処できていないのがうつ病だと考えられていると思います。医療大麻についても、研究が一番足りない分野です。役に立つ可能性は大きいと思います。通常の抗うつ薬を山ほど試してもまったく効かなかったのに、カンナビスは効果があったという人がいるんですからね。これまでの研究では、大麻草に含まれる成分で、たとえばリモネンなど、うつ病に効果があるものがあることもわかっています。さらに THC と組み合わせると抗うつ効果が強まるのです。明らかに、従来の処方薬とは異なった機序で作用するのです。ですから、それまでの治療で効果が乏しい患者などに効果が期待できるかもしれません。
GZJ: カンナビスは PTSD にも効果があると聞きます。アメリカでは主に退役軍人が対象のようですが、他のことが原因の――たとえば日本では6年前に大きな震災(3.11)がありました――PTSD にも効果はありますか?
ER: もちろんです。PTSD が最初に注目されたのはベトナム帰還兵ですが、どんな戦争にも PTSD は付き物ですし、地震などの災害やフクシマのような事故、性的暴行、家庭内暴力など、トラウマになるような体験なら何でも PTSD の原因になり得ます。そしてこれまで、従来の医薬品は PTSD にうまく対処できていません。カンナビスには、こうした感情の混乱から距離を置けるようにする独特の作用があります。また、PTSD の大きな特徴の一つである悪夢を見ずにぐっすり眠れるようになるという利点もあります。このようにカンナビスは PTSD の治療には非常に有望と考えられています。ようやく注目され始めたところなので、ランダム化比較試験を行って安全性と効果を評価する必要があります。
GZJ: 質問は以上です。最後に、日本の医療従事者へのメッセージをいただけますか?
ER: 私が日本の医師やコメディカルの方々に申し上げたいのは、世界の状況に目を向け、私がこのインタビューで言及した内容を裏付ける膨大な量の文献を、偏見のない態度で読んでいただきたい、ということです。医療大麻には、難病の治療に大きく貢献できる可能性があり、しかも安全なのです。
GZJ: 本日はありがとうございました。
イーサン・ルッソ博士プロフィール
専門医師会認定の神経科医、精神薬理学の研究者。英国の製薬会社 GW Pharmaceuticals の元シニア・メ ディカル・アドバイザーとして、サティベックスの第3相臨床試験では3回にわたり臨床医を務めた。
ペンシルベニア大学(心理学専攻)、マサチューセッツ大学医学部を卒業。アリゾナ州フェニックスで小児科、またシアトルのワシントン州立大学で小児及び成人神経科で研修医を経験し、モンタナ州ミズーラでは 20 年にわたって、慢性痛治療に重きを置く神経科医院で臨床医を務めた。1995 年、3ヶ月間の長期有給休暇をとり、ペルーのマヌー国立公園に暮らすマチゲンガ族の人々のもとで民族植物学の研究に携わる。2003 年、GW Pharmaceuticals にフルタイムのコンサルタントとして入社、2014年まで在籍。現在は Phytecs 社のメディカル・ディレクターである。
教授として教鞭を執った大学には、モンタナ大学薬学部、ワシントン大学医学部がある。また客員教授とし て中国科学院でも教えている。国際カンナビノイド研究会 (International Cannabinoid Research Society) の会長および国際カンナビノイド医学協会 (International Association for Cannabinoid Medicines) の協会長の経験がある。
文責:三木直子(国際基督教大学教養学部語学科卒。翻訳家。2011年に『マリファナはなぜ非合法なのか?』の翻訳を手がけて以来医療大麻に関する啓蒙活動を始め、海外の医療大麻に関する取材と情報発信を続けている。GREEN ZONE JAPAN 共同創設者、プログラム・ディレクター。)