■大麻を吸うとぼけやすいのか?
続いて厚労省が主張する ② 認知機能や長期の記憶力への影響について考えてみましょう。
大麻を使用すると、急性の短期記憶障害を引き起こします。多くのユーザーが、キッチンまできたものの何をしようか忘れてしまったり、鍵をどこに置いたかわからなくなったりといったエピソードを経験しています。しかし、そのような症状は大麻の作用が切れると消失します。同じような一過性の短期記憶障害は、アルコールでもしばしば引き起こされることは周知の事実です。
問題は、大麻の使用が長い目でみて記憶力の障害を引き起こすかどうか、ということです。これに関しても、相反する結果を報告する研究がそれぞれ存在します。2012年のメタ解析では、たとえ長期のユーザーでも、使用を中止して25日後には非喫煙者と同等の認知機能であったとの結果が示されています。
一方で、2016年に発表された、アメリカでの25年間の追跡調査の結果では、大麻の使用歴がある人は、ない人と比べて言語記憶力の低下があると結論されています。しかしよく読んでみると、この論文には突っ込みどころがあります。
この調査では、言語記憶力の評価に、RAVLT というスコアを使用しています。これは 15個の単語を口頭で伝え、それをどれだけ覚えられるかという試験です。大麻を5年長く吸う毎に、覚えられる単語の数が 0.5個減ったということで、これは統計的にも有意であったとされています。RAVLTという試験では、 3種類のスコアが得られるのですが(①即時再生、②干渉直後再生、③遅延再生)、今回は ③遅延再生のスコアを採用したとだけ書いてあり、①と②のスコアは本文中では伏せられているのです。付録データまでさかのぼって確認すると、①と②のスコアでも低下傾向はあるものの、①のスコアでは統計的な有意差は認められません。
このような、様々な研究の結果を総合的に考慮すると、大麻を長期使用することによる認知機能への影響は、あっても軽度ではないかと思われます。
■大麻草と統合失調症
精神疾患に関してはどうでしょうか? 以前から、大麻が統合失調症様の症状を引き起こすとの指摘があり、これに関してはメタ解析でも相関関係が示されています。この問題に関しては、後述する英国のブリストル大学元教授である、David Nutt 先生の意見をそのまま引用させて頂こうと思います。
大麻草と精神障害関係については多くの研究や言説が存在する。しかしその解釈は非常に難しい。我々が言えるのは、大麻の使用は“精神障害性の体験”と関係があるということだ。けれどもその関係は複雑である。なぜなら、まず第一に大麻のユーザーは精神の変容作用を求めているからだ。そしてその精神変容作用は、統合失調症などの精神病の症状に似ている部分がある。大麻の影響で人の知覚は変化し、思考も普段と異なるプロセスを辿る。医者が「大麻使用に伴う精神障害」と言うとき、単に大麻の急性作用をみているのか、それとも大麻使用に伴う続発性の精神障害なのかという区別は困難で曖昧である。
一般的には、大麻を長期間にわたって大量に使用すると、精神疾患症状を経験する可能性は高まる。その中には統合失調症の発症も含まれるが、統合失調症はまれな疾患であり、その因果関係ははっきりしない。我々の調査では、大麻のユーザーはノンユーザーと比較して、精神疾患様症状を経験するリスクが 2.6倍になる。しかしこの数字を他の薬物の健康被害と比較してみよう。たとえば、煙草を吸う人が吸わない人と比べて肺癌になる危険性は20倍も高い。私がわかってほしいのは、大麻と精神疾患の関係というのは、その程度のものだということだ。
その他に大麻と統合失調症の因果関係を考える上で大切なのが、過去30年の統合失調症の患者数だ。この 30年間で、英国における大麻の使用率は爆発的に上昇した。しかし Keele 大学のデータを参照すると、その間、統合失調症や精神病症状を呈する患者の数は減少している。仮に大麻の使用が統合失調症につながるなら、この矛盾をどう説明すればいいのだろう?
また我々の計算上、仮に大麻の使用が統合失調症の発症のきっかけになるとしても、一件の発症を防ぐ為には、20歳から 25歳の男性 5000人に大麻の使用をやめさせなければならない。1件の精神疾患の発症予防のために、5000人を逮捕することの費用対効果を考えると、これは政策としては馬鹿げているとしか言いようがない。(引用終了)
いかがでしょうか?私は非常に説得力のある論旨だと思います。
■うつ病と不安障害
大麻がうつ病や不安障害の治療法として有用との意見がある一方で、大麻の使用がうつ病や不安障害の原因となるという指摘があります。科学的には、うつ病、不安障害のいずれの領域においても相反する研究結果がそれぞれ報告されています。
2014年のメタ解析では、大麻のヘビーユーザーには、ライトユーザーやノンユーザーとくらべて 1.6倍うつ病が多いと指摘されています。しかし一方で、2016年の34,000人以上を前向きに追跡した大規模試験では、大麻の使用とうつ病や不安障害とは関連がないと示されました。2004年の双子を対象とした研究では、大麻の使用とうつ病は、どちらも遺伝や環境の影響で引き起こされるもので、大麻がうつ病を引き起こしているとは考えづらいと結論されています。
不安障害に関しても、上記の2016年の大規模前向き試験では関係がないと指摘された一方で、2013年のオーストラリアの試験では、毎日大麻を使用する人では、不安障害の罹患率が 2.5倍であるという結果でした。
この結果を踏まえて、私の考察を加えてみます。ここでもまず問題になるのは、相関関係と因果関係の違いです。これまでの研究結果から、うつ病や不安障害と大麻の使用の間には相関関係はありそうです。しかしこれが、うつ・不安 ⇒ 大麻 なのか、大麻 ⇒ うつ・不安なのかというのは、はっきりしません。
これは個人のエンドカンナビノイドシステムのバランスによって、どちらもあり得るのではないかと思います。大麻にはエンドカンナビノイドシステムを通じて、セロトニンなどの気分に関わる神経伝達物質の量を調整する作用があります。何らかの原因で乱れている神経伝達物質のバランスを大麻由来のカンナビノイドが整えることによって、うつや不安に対して緩和的に働く。そのような場合、うつ病の人が大麻にはまるのは当たり前でしょう。
一方で、もともと神経伝達物質のバランスが取れている人が、大量の大麻を摂取し続けたら何が起きるでしょうか?おそらく神経伝達物質のバランスが逆に乱れることが予想されます。そうすると、大麻のせいでうつや不安症状が出現することもあるでしょう。そして、そういう人は自然と大麻を吸わなくなります。もしかすると、これが大麻の合法国でも常用者の割合が1割程度に過ぎないことの理由ではないでしょうか? たとえ精神疾患と診断されていなくても、大麻にはまる人というのは、潜在的にエンドカンナビノイドの活性が落ちている人なのではないでしょうか?もしこの仮説が正しければ、現在の日本の政策は患者の人権侵害である可能性があると言えるでしょう。
■薬物の危険性を科学に基づいてランキングしようという試み
これまでみてきたように、大麻の危険性は誇張されています。ここでは利害関係を離れて、客観的に大麻の有害性を評価しようという David Nutt 先生の研究を紹介したいと思います。
ブリストル大学教授であった Nutt 先生は、精神科医であり薬物問題を専門としています。
英国では、大麻草の違法薬物としてのカテゴリーは 2004年、BランクからCランクに引き下げられた経緯があります。このBとCの分類には大きな違いがあり、Cランクの薬物所持は歩行者の信号無視と同じで、所持によって逮捕されることはないのです。
しかしこの非犯罪化政策は 5年で覆されました。当時、品種改良が進み「スカンク」と呼ばれる高濃度の THC を含有する大麻が主流となったことで、乱用薬物としての有害性が高まったから、というのが表向きの理由となっています。このとき英国厚生労働省の薬物乱用諮問委員会の議長として、彼は政府の方針と真っ向から衝突します。科学に基づいた薬物政策を提案する彼は、大麻草を Bクラスに再分類する政策に反対するパンフレットを作成し、諮問委員会をクビになります。(なかなか気骨のある人ですね。)
このパンフレットで、Nutt 先生は大麻もまた有害薬物の一つであることを明言しつつ、大麻草と統合失調症の間に明らかな因果関係はないこと、大麻草の有害性は酒や煙草、その他の違法ドラッグと比べれば軽いことを指摘しています。
この提言の元になったのが 2007年の Lancet 誌に掲載された論文です。この Lancet というのは英国を代表する医学誌で、アメリカの New England Journal of Medicine 誌と並び、医学会における東西両横綱的立ち位置にあります。
「乱用薬物の危険性評価の為の合理的スケールの開発」と題されたこの論文では、数々の違法ドラッグ、処方薬、そして酒、煙草などの合法嗜好品など、依存症を引き起こし得る多くの物質の危険性を、利害関係を離れて科学的に評価しようと試みられています。
まず、薬物の有害性を評価する為、著者らは以下の9項目からなるスコア表を作成しました。
そして、2 種類の専門家グループ(精神科医/依存症治療専門家)に、この表の各項目について、0〜3点の 4段階で点数付けを依頼しました。その結果が、以下の表です。
最も危険なドラッグにはヘロインが選ばれました。さすが「キング・オブ・ドラッグ」の異名を持つだけのことはあります。2 位にはコカイン、3 位にはなんとバルビツール酸系睡眠薬がランクインしています。これは日本でベゲタミンA錠、通称、「赤玉」として処方されているものです。
以下、5位にアルコール、7位にベンゾジアゼピン系睡眠薬(デパス、ハルシオンなど)、8位に覚醒剤、9位に煙草、そして大麻は 11位です。(この覚醒剤のランキングに関しては解釈の難しいところがあります。英国では同じ系統に属するコカインが広く流通しており、覚醒剤のシェアは比較的小さいようです(http://www.emcdda.europa.eu/countries/prevalence-maps)。一方で日本は覚醒剤の発祥の地でもあり、コカインよりもずっと広く普及しています。専門家とはいえ、各人が自分の経験から主観的に判断してスコアリングしている以上、多くの被害症例をみている薬剤の順位が高くなるのは当然と思われます。)
このランク付けは、精神科医と薬物依存症専門家という異なる視点からみて、一致することも確認されています。
また以下の図は、それぞれの要素毎の点数表です。
色をつけたところがアルコールと大麻ですが、どの項目で比較してもアルコールの危険度の方が大麻のそれよりも高いことがおわかり頂けるかと思います。この結果をもって、Nutt 先生は
「大麻のおよぼす害悪はアルコールの害悪に及ばない」と明言し、その主張は欧米では既に一般常識として定着しつつあります。このような科学的な裏付けがあってこそ、世界中で近年、大麻は合法化されているのです。
■終わりに
誤解しないで頂きたいのですが、私は大麻の健康被害が全くないとは言いません。現に急性の吐き気や、統合失調症に似た妄想(バッドトリップ)が出現する人は存在します。しかし、ここまでみてきたように、大麻の健康への悪影響はアルコールや煙草と比べて軽度である、というのが今日までの科学研究の答えです。
健康への影響は、大麻を法規制する理由にはなり得ません。私がここで引用した科学的データを、厚生労働省は当然把握しているはずです。サイエンスと矛盾する情報をホームページに記載し続けるのは、フェイクニュースの拡散以外の何者でもありません。実際にアメリカのDEA(薬物取締局)は、2017年、厚労省と似たような記載を市民団体のクレームを受けて削除しました。
政策や法律は古くなります。そのときどきの最善を目指して更新され続ける必要があります。
そしてその遅れは、多くの悲劇を生みます。
最後に、ハンセン病の話をしましょう。かつて不治の病であったハンセン病は、その見た目への影響もあって恐れられ、1920年代から日本でも隔離政策が開始されました。そんな状況下、1943年にアメリカで治療法が発見されます。治療可能であり、感染性も低いことが科学的に示された時点で、特に隔離の必要はないと考える一部の医師は 1948年の時点で隔離に反対しますが、その後も隔離政策は続き、こともあろうか 1953年には患者達の反対を押し切って「らい予防法」が正立、その法律の存在は患者と家族への差別を助長しました。その悪名高い「らい予防法」がようやく廃止されたのは、なんと 1996年になってからです。この不合理な法律が廃止されるのに 50年という年月がかかり、その間に失われたものは、たとえ厚生労働大臣が今更頭を下げたところで戻ってはきません。
大麻取締法は今、かつてらい予防法が通った同じ道を歩んでいます。我々はあとどれくらい、不要な悲劇を生み出せばいいのでしょうか?
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