大麻草でがんは治せるか?
ユキ@T-AAL再再発 x Full Extract Cannabis Oil のストーリー 01

2022.10.01 | 病気・症状別 | by greenzonejapan
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大麻草でがんは治せるか?
ユキ@T-AAL再再発 x Full Extract Cannabis Oil のストーリー 01
2022.10.01 | 病気・症状別 | by greenzonejapan

 

CLUBHOUSE で不定期に行っているセッション『大麻草でがんは治せるか?』では、PCAT(カンナビノイド医療患者会)の会員であり、白血病の治療に医療大麻を取り入れるためにご家族でシアトルに渡航したユキくんのお父さんにお話を伺いました。限られた時間の中では伺いきれなかったユキくんの闘病の様子を、お父さんが手記として書いてくださったものを連続でご紹介します。

 

ユキ@T-AAL再再発の父です。 この手記を描き始めようとすると、色々と思い出してしまって涙が止まらなくなり、そのせいで 辛くて何度も何度もノートパソコンの画面を閉じました。来る日も来る日も同じことの繰り返し。これを書いている今日はユキの月命日、2022年 7月 4日です。

ユキは CBD や CBG、そして医療大麻のことをもっと知って欲しいと Twitter でも言っていました。 そして、「普通の高校には行かないで、通信制の高校に通って CBD や CBG や医療大麻を広める活 動をしたい」、「自分と同じ病気で苦しんでいる人に知ってもらいたい」、「病院でも使えるようになって欲しい」と言っていました。Twitter で知り合った仲間達の中で辛い長い治療の甲斐なく苦しんで、一人、また一人と亡くなっていく姿を見ていたので、自分と同じ苦しみを味わって欲しくなかったようです。これは恐らく、ユキが Twitter で繋がった同じ白血病を患う仲の良かった友人が大きく関係していると思います。最初その友人は CBD や CBG には興味を示さなかったのに、体調がどんどん悪くなり、ユキに CBD と CBG のことを聞いてきたので Green Zone Japan を紹介したのですが、入院していた病院側が使うことを認めてくれないまま、亡くなってしまったのです。

そして、ユキが亡くなってから彼のスマホを時々開くと、ユキが Twitter で繋がった方々やそのご家族の方が闘病の末に亡くなられた知らせがツイートされているのが目に入ります。それを見る度に、私の心の中では2つのことが思い起こされます。 ひとつは、辛いけれどユキの遺した意思を継いでこの活動を前に進めなくてはという思い、2つ目 は2022年2月9日にユキから「父さん、お願いだから僕のことを殺して、こんなの生き地獄だよ、どこか安楽死が認められている国に僕を連れてって、お願いだから僕を死なせて」と言われたことです。私は何もしてあげられない自分の不甲斐なさに、何も言葉をかけてあげることができませんでした。ユキはその時のことを Twitter にこう書いています。

「カッとなって父さんに酷いこと言ってしまった、もー自分がやだ」

 

そして、この2つ目のことは映画『Weed the People』に出演されていた Ron Watson 氏が、幼い息子さんが亡くなる前日にひどく苦しむ姿をみて、「神に彼を死なせて下さいと祈った」と込み上げる感情を抑えながら語る姿につながり、私の心の中に大きく跡を残しました。Watson氏は大麻の真実を知ってから、自分と同じようことを祈る親をたった一人でもいいから減らすことが今の生きがいだと語っています。そして「大麻が違法というのは70年間続いたプロパガンダ」として、 ロビイストとして活動をしているそうです。私も、治療をした甲斐もなく亡くなる方のご家族の方々がどんな思いでいるのか、その姿を見るのがどれほど辛いか、完全に同じ思いを感じることはできませんが、ユキに重ねて共感してしまいます。だから私は、書かなければ、伝えなければ、前に進めなければ、という思いでキーボードを叩き始めました。

ユキの本当の名前は、梅澤 勇仁(ゆうと)と言います。 勇敢で勇気のある人になるように、そして、ただ強いだけでなく、草木や動物、生きるもの全てに対して慈しみの心を持って接することができるように、という願いを込めて名付けました。(写真は白血病で入院する5日前、誕生日のお祝いで行ったお店にて)

では、Twitter のアカウントが何故「ユキ」なのかというと、その時に気に入っていたユキヒョウ のぬいぐるみから取ったのだと思います。カロラータのリアルアニマルファミリーというシリーズのぬいぐるみを兄弟揃って気に入っていて、沢山持っています。今、このぬいぐるみは片見分けとしてゆーとの後輩の子のところにいます。

そして、もう一つの Twitter のアカウントは「ゆーと」です(@UTUT81714451)。真剣に取り組んでいたブロスタ用のアカウントです。

妻がゆーとを妊娠した際、切迫早産の兆候もあったりしたので、里帰り出産の為に関西に帰省していました。そして、私がたまたま関西に出張に行っていた際に破水して36週で生まれました。 出張で行った仕事の方も、理解のある客先と上司のおかげで運良く出産に立ち会うことが出来ました。家族を優先させてくれたことに本当に感謝しています。そして、生まれてすぐの元気よく泣く声は今でも覚えています。ただ、産まれてすぐ、うまく呼吸ができないことがあり、新生児室のガラスの向こう側にいる姿しか見れませんでした。そして、3ヶ月から4ヶ月経った頃から、アトピーのような症状が出始めました。痒がって、抱っこしないと寝れなかったり、ベッドに置くとすぐ目を覚まして泣いてしまったり、寝室で一人で目を覚ますと泣いてしまったり、それでも一緒に過ごせる時間がとても愛おしくて、ゆーとの育児を楽しんでいました。

食物アレルギーは血液検査で分かったものは除去していたのですが、時々、全身に蕁麻疹が出たり、ひどい時は、お腹が酷く痛くなったり、目や鼻からも体液が垂れてくるほどの症状に見舞われて、夜間の救急に連れて行ったこともありました。でも、その時は何が原因かわからなくて、分かったのは何年か経ってからでした。その原因の食物は胡麻でした。分かってからは胡麻はとにかく気をつけるようになりました。 アレルギーだけでなく、幼稚園に入ると喘息も出るようになりました。 アトピーは皮膚科に通い、塗り薬を使うようになりました。ある一定期間は症状は抑えることが出来たのですが、症状が再度出始めると、強い薬が処方され、ステロイド薬になり、それもどんどん強いものになっていきました。喘息も同じで、発作を抑える薬をずっと飲んでいても、何かが原因で発作が出るとさらに強い薬が処方され、ステロイドになるというのを数年間の間に経験しました。 そこで、薬を使い続けたとして、症状を抑えることは出来ても、治すことは出来ないのではないか、と疑問に思うようになりました。そこから、食事改善をしつつ、調味料に気をつけ、添加物の入っていない食事をするようになりました。

そこから、中学校に上がるタイミングで、アトピーと喘息の為に定期的に通っていた病院に行くことが難しくなり、近所のクリニックに行き始めたところ、そこの医師に妻は「どうして今まで何もせずに放ってきたのだ」と非難されたそうです。で、大きな病院でアレルギーの状態を調べるための負荷試験をしなさいと言われ、予約をとって行ったのですが、その日の朝、病院について熱を測ったら 37度を超えていたので、検査はできないと、ベッド使用料だけ支払わされて帰りました。今思えば、それは負荷検査はするなという知らせだったのではないかと感じています。 その理由はもう少し後でお話しします。そして、日程を改めて、11月の半ば過ぎに負荷試験をしました。何も知らない医師は、スプーン一杯からやってみようぐらいの勢いで話してきたので、いやいや、そんなの絶対無理だと伝えました。ほんの少しのゴマでも、全身に蕁麻疹がでて、目や鼻から体液のようなものが垂れるくらいだと。それで大分量を減らして、塩むすびの中に入れて、 食べさせました。でも、1/3 を食べたところで、喉が苦しくなり、お腹も酷く痛がり、蕁麻疹も出始めたので、そこで負荷試験は中止となり、エピペンを注射して症状を落ち着かせて終了となりました。白血病を発症する数ヶ月前のことです。 ゆーとの白血病のタイプは免疫細胞である T細胞性の γδ型のものです。胡麻を食べることで出た症状は、小さい頃から食べるごとに酷くなって行った気がしています。胡麻によるショック症状で、T細胞のγδ型の遺伝子に傷が付き、もしくは既に遺伝子異常が起きていたところに更に追い討ちをかけるような状態になり、白血病になるきっかけとなったのではないかと思っています。 負荷試験から病院の検査で発覚するまで約2ヶ月、その後の彼の再発時の白血病細胞の増え方を見ても、期間的には一致するのです。

2020年1月28日に白血病と診断されたのですが、以前は冬でも暑がってジャンパーやコートは着ないで過ごしていたのに、2019年の年末はとても寒がって、駅からの帰り道に学校の制服の上に着る上着を持って行っていたのを覚えています。がんは低体温になるとなりやすいと言いますが、低体温になってしまう何かが、彼の中で変化があったのだと思います。

そして、2019年の秋の終わりから発症までにあったもう一つの環境の変化といえば、ゆーとがずっと飼いたがっていた犬を 12月中頃から飼い始めたことです。ゆーとは犬アレルギーもあり(猫の方が酷い)、犬を飼うのは無理だと思っていたのですが、譲ってもらう犬に会いに行った際、少し舐められたところが赤くなっただけで大きな症状は出なかったので、飼うことに決めました。犬種はフラットコーテッドレトリバーというもので、シングルコートといわれる年に 一度だけ毛が生え変わるタイプの犬です。ユキの Twitter アカウントの背景に写っている大きな黒い犬がそうです。ゆーとはその犬が来てから、本当に嬉しそうでした。犬のサークルの中で一緒に横になったり、そばでゲームしたり、散歩に連れて行ったり、犬を飼うという「俺の夢が叶った」と本当に喜んでいました。

それ以外で白血病の要因となる遺伝子の異常を起こしそうなものといえば、東北大震災の福島の 原発事故による放射性物質でしょうか。被曝によるT細胞の異常が増加することがあるそうです。

・原爆被爆者では、Tリンパ球の割合がへり、Bリンパ球の割合が増加している。 
・被爆者では、Tリンパ球の免疫機能が低下し、また異常なTリンパ球(突然変異など)が増加している。 ナチュラルキラー細胞や他の顆粒球、マクロファージなどは正常である。 
(https://www.rerf.or.jp/about/organization/chart/radi/immst/ より参照)

 

同じ市で、ゆーとと同世代の子で白血病になった子が他にもいるという情報をママ友から聞きました。そして、ゆーとが白血病診断された前日、弟は学校で白血病の授業があり、1週間後にはこんな冊子で骨髄移植の授業があったそうです。

過去に行われた原爆や水爆の実験も影響はしているのだと思うのですが、国も医療機関も子ども達の異常事態を把握しているのではないでしょうか。少なくとも、私が学生の頃はこのような授業も冊子もありませんでした。

そして、もう一つの大きな変化といえば、中学に進学したことです。ゆーとの通っていた学校は中高一貫校で、授業内容が進むのが早く、一学年先の内容を勉強していました。外で遊ぶのが大好きだったので、一気にレベルがあがり勉強が大変だったようです。中学生になってからは学校に 残って、先生にわからないところを聞いたりしていました。そして、部活動でハンドボール部にはいり、朝は6時頃に出ていき、帰りは夜で、週に何日かは塾に通う生活で、十分な睡眠が取れず、 疲れ切っていたのもあると思います。

色々な要因が重なって、白血病になってしまったのではないかと、色々と調べる中で思うように なりました。

次は、「白血病と診断されるまでの1週間」から書こうと思います。

つづく

執筆:ユキ@T-AAL再再発の父。ユキの意思を継いで、大麻全草から抽出したオイルを医療目的で使えるようにする為の活動を行う。Green Zone Japan の中の人と同じ埼玉県在住。映画「翔んで埼玉」の最後に出てくる、実は埼玉県が発祥の企業が知らない間に全国進出したように、医療大麻に関しても実は密かに埼玉県から広まるようにして、日本を変えて行く。

“大麻草でがんは治せるか?
ユキ@T-AAL再再発 x Full Extract Cannabis Oil のストーリー 01” への1件のコメント

  1. 吉田智賀子 より:

    勇気のある執筆をありがとうございます。末の弟(当時17歳)を白血病で亡くした家族です。

    すでに25年以上前のことで、当時はTwitterもなく、また、カンナビノイドの知識もなく、小児病棟の中での家族同士の情報交換のみでしたが、勇仁くんが言っていたように、私の弟も、自分と同じ病気で苦しんでいる子供たちを助けたい、日本の大学は偏差値次第で志望校に合格できないだろうから、海外の大学に行って医者になる、と言っていたことを思い出しました。また、抗がん剤治療で見た目が変わってしまった自分に我慢ができなかったのが、母親に八つ当たりしていたことも思い出しました。

    彼がやりたいと思っていたことに少しでも近づければと、私も微力ながら今カンナビス事業に携わりつつ、必要としている人たちに届くような環境作りに貢献できればと思っています。

    辛いとは思いますが、続きを拝読させていただく思います。

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