ハンセン病問題と大麻問題の類似性について

2022.10.15 | 国内動向 安全性 | by greenzonejapan
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ハンセン病問題と大麻問題の類似性について
2022.10.15 | 国内動向 安全性 | by greenzonejapan

2022年9月下旬から10月上旬にかけて、日米両政府は大麻に関する新たな方針を打ち出しました。
厚生労働省が大麻使用罪を導入の意向を固めた一方で、バイデン大統領は連邦法における大麻単純所持の非犯罪化をめざす声明を発表したのです。大麻使用罪が“個人使用“を対象とした罰則であることを鑑みると、アメリカの単純所持の非犯罪化は文字通り真逆の政策と言えるでしょう。
政策に正解というものがあると仮定して、文化や社会的背景の違いを考慮に入れても、逆方向のアクションが正解という状況はあり得るのでしょうか。どちらかの国の方針が間違いであったことが後の歴史によって示される可能性が高いと筆者は考えていますし、既に米国のバイデン大統領は声明の中で、これまでの(厳罰主義的な)大麻政策は誤りであったと明言しています。
2022年時点で、他国が“失敗“と断じる方向へ舵を切ることは、日本の公衆衛生政策上の致命的な汚点となることを筆者は危惧しています。これはハンセン病問題と同じ轍を踏んでいるように思えるのです。

○ハンセン病問題とは
ハンセン病はらい菌という病原体に感染することで発症する慢性の感染症です。病気が進行すると手指や顔の変形が認められるため、有史以来、呪いや天刑と見做され恐れられてきました。

日本では1907年に療養所に隔離する方針が定められ、1931年には全ての患者を本人の意思と関係なく強制隔離できるように法律が作られました。こうしてハンセン病患者の人権は公共の福祉の名の下に制限されるようになったのです。
(これに対して、医師の小笠原登はハンセン病の感染力が弱いことを指摘、学会で隔離政策に反対する意見を述べましたが、主流派の医師らには黙殺されました。

さらに患者の隔離を推し進めるために取り組まれたのが、「無らい県運動」です。これは、都道府県ごとに患者のあぶり出しと隔離を行い、患者がいない状態を実現することを目的として官民合同で取り組まれたものです。患者の発見を容易にするために密告が奨励され、強制力をともなった官憲による連行も行われました。
無らい県運動のなかで強調されたのが、ハンセン病は「恐ろしい伝染病である」というメッセージです。ハンセン病の危険性を過度に強調して恐怖心をあおり、ハンセン病に対する偏見を国民に植え付けることになりました。患者が出た家は、真っ白になるほど消毒され、それはハンセン病に対する人々の恐怖心を増幅させるとともに、その家から患者が出たことを周囲に明示するものでもありました。そのため、患者が出た家は差別と排除の対象となり、離婚、失業、一家離散、一家心中、自殺に追い込まれることもありました。
患者が隔離された療養所では、医療や食事も不十分で、労働をさせられたり、監禁室に閉じこめられたりと、囚人のような扱いが横行しました。さらには、子どもを産ませないための断種手術や中絶手術がほとんど強制的に行われたのです。

○治療薬の登場と科学的勧告・遅れた国の対応
このような状況に変化をもたらすきっかけとなったのが1943年のプロミンの発明でした。この画期的な治療薬の登場により、ハンセン病は治る疾患となり、国際的には1940年代後半以降、隔離政策に変化が生じるようになります。1952年には国連総会で医師のラウレル・フォローが“今日では患者隔離の理由はない“と請願を行い、1958年には東京で第7回国際らい学会が開催、そこでは従来の隔離政策を廃止し外来治療を行うべきとの決議が行われているのです。
これらの決議を受け、日本でも強制隔離政策の撤回を求める声が高まりましたが、国は1953年に、従来の“癩予防法“を新たに“らい予防法“に改正、隔離方針を継続しました。その後に科学的知見に基づいて、国がハンセン病の隔離政策を撤回したのは、なんと1996年のことでした。治療薬の開発から半世紀以上の歳月がかかったのです。

○国家賠償請求へ
隔離政策の撤回から2年後の1998年、熊本と鹿児島の療養施設に住む13名のハンセン病患者による、国家賠償請求訴訟が開始されました。誤った政策により、差別偏見が助長されたこと、また隔離施設で行われた人権侵害の責任と賠償を国に求めたのです。これに全国の患者たちが加わり、2001年 5 月 11 日の熊本地裁での 判決前までには、西日本訴訟 589 人、東日本訴訟 126 人、瀬戸内訴訟 64 人、全国で合計 779 人の大原告団となりました。
この訴えに対して、熊本地裁判決は全面的に原告側の主張を認めました。隔離の必要性について、1953年の「らい予防法」は「制定当時から既に、ハンセン病予防上の必要を超えて過度な人権の制限を課すもの」であり、公共の福祉による合理的な制限を逸脱していたというべきであり、遅くとも 1960年には「その合理性を支える根拠を全く欠く状況に至っており、その違憲性は明白」であり、 さらに、これを 1965年に至っても放置し続けた国会議員の行為も違法であり、「国会議員の過失も優にこれを認めることができる」と判示したのです。
当時の小泉内閣は控訴を諦め、これをもって、日本のハンセン病政策は誤りであったことが認められ、被害を受けた患者・家族には賠償金が支払われる方針となりました。

○大麻政策との類似点
ここまで読まれた方は既にお気づきでしょうが、ハンセン病問題と大麻問題には多くの類似点が存在します。

・誤謬、偏見に基づいた差別構造
どちらも誤った認識に基づいた偏見が先行し、その結果として差別構造が定着することになりました。

・無らい県運動とダメゼッタイ運動
その偏見と差別を煽ったのは、公的機関やそれに準じた団体でした。“ダメゼッタイ運動“は大麻以外の薬物使用者への不必要な差別・偏見を煽り、また医療用麻薬へのアクセスを妨げている点においても、後世において非難を免れないでしょう。

・公的機関による構造的な人権侵害
隔離されたハンセン病患者に公然と中絶手術が行われたのと同様に、“犯罪者“のレッテルが貼られた大麻使用者にも人権を無視した対応がなされています。違法な職務質問や非人道的な囮捜査、また芸能人の逮捕にテレビ局が同行するのは公務員としての守秘義務に違反している可能性が指摘されています。

・エビデンスと国際的な方針転換の軽視
そして何より、エビデンスに基づいた国際的な勧告を国が無視し続けている点において二つの問題は同種の過ちを犯していると言えます。大麻問題においても、既に2010年には国連は薬物の単純所持に対しては、刑罰以外の方針をもって対応することが望ましいという旨の勧告を出しています。
2020年末には大麻のカテゴリーの見直しが行われており、今回のアメリカ合衆国はこれらの国際的な動向に遅ればせながら追従する方針を示したと言えるでしょう。一方、このタイミングであえて大麻取締法に使用罪を創設しようという動きは、1953年に“らい予防法“を改正して、隔離方針を堅持した動きと類似の動向です。
日本の大麻使用罪創設に対しては、筆者が理事を務める医師らの学術団体や、弁護士有志などの専門家から厚労省に対して、方針を見直すように提言書が提出されています。また有識者会議においても、反対意見が述べられました。これらの提出記録は全て公的に残っているため、国が海外の動向を認識した上で、あえて厳罰政策の強化に踏み込もうとしていることは後々の法廷闘争でも証明されるでしょう。

○厚労省は長い裁判を闘う覚悟があるのか?
これらの類似性を考えると、日本で大麻が合法化された後に、これまでの厳罰政策で被った被害の補償を求める集団訴訟が発生するのは間違いないと思われます。昨今の捜査機関の大麻を集中的に狙った取締方針により、年間に5000人の逮捕者が発生し莫大な社会的被害が生じています。大麻問題における原告団の規模はハンセン病とは桁違いとなるでしょう。
このような泥沼を想定した上で、監視指導麻薬対策課は使用罪創設を目論んでいるのか、それとも歴史から学ぶことを知らないのか、私には判断しかねますが、この国の劣化を象徴する事象として後年に語られる気がしてなりません。

参考文献;
https://www.nhdm.jp/
https://www.jstage.jst.go.jp/article/hansen/87/2/87_73/_pdf
https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/attachment/49332.pdf

執筆:正高佑志(医師・一般社団法人Green Zone Japan代表理事)

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