・イギリスにおける医療大麻制度
イギリスでは医療大麻が解禁されていますが、その仕組みや実際の運営状況は少々複雑なことになっています。最初に使えるようになったのは、GW製薬が製造販売するSativexであり、これは2010年に医薬品医療製品規制庁(MHRA)から医薬品認可を受けました。Sativexは専門医(神経内科医、リハビリテーション専門医、疼痛専門医)のみが処方できます。またEpidiolex は2020年1月から医師であれば、ドラベ症候群およびレノックスガストー 症候群(LGS)の患者に処方できるようになっています。
その後、英国政府の医療大麻に対するアプローチの軟化は、2018年のドラベ症候群のビリー・カルドウェル少年を巡る抗議行動がきっかけでした。ビリーの母親は、英国で医療大麻が入手できなかったため、カナダに渡航することを選択し、現地での医療大麻治療(Tilray 社の製品を使用)にて、てんかん発作は大幅に減少し認知能力と運動能力は著しく改善しました。
英国のビリーの主治医は症状改善に感銘を受け、引き続き大麻を使用することに同意しましたが内務省の介入によって、この判断は撤回されました。母親はカナダに戻り大麻由来製品を手に入れ、イギリスに個人輸入しようと試みましたが、税関で没収されビリーの症状は急速に悪化。てんかん重積状態に入り、ロンドンのセント・ト ーマス病院の集中治療室に入院となりました。この非人道的な仕打ちに対して一般の人々に抗議運動が広がったため、大麻由来製品を使う特別許可を少年に与えるよう内務長官が特例的な判断を下し、輸入品を返却して発作を止めたのです。
この出来事がきっかけとなり、2018年 11月に大麻由来製品は、“2001年薬物乱用規則“において医療用途なしのスケジュール 1 からスケジ ュール 2 へ移行し、医師が特定の条件であれば利用可能となりました。この時に定められた医療大麻の定義は、医薬品医療製品規制庁 (MHRA)から認可受けた処方箋医薬品 (例:Sativex)だけではなく、大麻及び大麻樹脂由来の製品を含むものとなりました。さらに2019年12月、保健社会福祉省は国民保健サービス(NHS)に通知を発行し、医療専門家に対して、“患者に満たされていないニーズがあり、その使用が臨床的に適切であると見なされる場合はカンナビノイド製品を保険診療内で使用しても良い“というガイダンスを発表しています。
このような表面上の情報からは物事は順調に推移しているように見えますが、現実的はそう甘くはありません。イギリスが誇る国民皆保険制度であるNHSは、日本の皆保険と比べて財布の紐が固く、これまでNHSから医療大麻の費用が償還された使用者は5名未満に留まるとのことです。
公的医療のセクターに代わって、イギリスで医療大麻を処方しているのは民間の医療機関になります。(筆頭はレジストリ研究をリードするサフィア・クリニックでしょう)これらは公的機関よりもアクセスに優れているようですが、NHSのカバーからは外れているために、自費で加療することになります。これは日本における“自由診療“に近いイメージではないかと想像します。
・実際の患者に対するインタビューをまとめた研究
この2018年以降のイギリスにおける医療大麻事情を描写するために、リバプールのジョンムーア大学の研究者らが行った研究からは学ぶことが多くあります。
この研究は“質的研究“と呼ばれ、イギリス国内で医療大麻を実際に使用している患者24名に対してインタビューを行い、その内容を抽出することでメリットや制度的な問題点について考察しています。
インタビュー対象となった患者のうち、1名だけがNHS内で大麻を処方されており他の23名は民間クリニックからの処方でした。インタビュー対象者はSNSの拡散にて募集されました。患者の症状は不安障害、慢性疼痛、線維筋痛症、てんかん、ADHD、PTSD、群発頭痛、不眠、クローン病、うつ病、難治性の嘔吐、食欲不振など、多岐にわたっていました。多くの患者が語ったメリットを以下にまとめます。
①医療大麻は“全人的治療“で社会機能を回復する
慢性疼痛、てんかん、精神疾患などの幅広い症状に悩む患者の多くが、医療大麻を単に症状を軽減するだけでなく、精神と身体の両方の面で改善する全人的治療であるという実感を感じていました。多くの患者が身体機能や社会的機能を回復し、仕事や学業に復帰できたことを報告しました。
②反応性が高いためコントロールしやすい
患者の多くが、医療大麻は速やかに効果が確認できることを述べました。(多くの抗うつ薬は効き始めるまでに数週間の時間を有することがあります)これは患者自身が必要に応じて使用をコントロールできることと表裏一体になっています。反応性が高いことは、症状の緩和と眠気などの精神症状のバランスを適切に取る上で重要であり、多くの患者が酩酊することなく生活を送れることに言及しました。
③他の薬が減らせる・副作用が少ない
参加者のほぼ全員が、大麻を処方されて以来、その他の薬剤の必要量が減り、保険診療におけるコストが低下したことを証言しました。また処方薬が減ることにより、それらの薬剤による副作用からも解放されたことが述べられました。逆に、大麻による副作用はほとんど報告されませんでした。(初期に副作用が出現した患者も用量の調整や耐性によって望ましくない症状を軽減することができました)
これらのメリットとともに、政策上の問題点と弊害についても様々なコメントが寄せられました。
①医師の知識不足と認識の問題
参加者の多くはイギリスにおける医師やその他の医療職の深刻な知識不足を感じていました。例えばADHD患者の主治医は彼が合法的に大麻を処方され得る事を知りませんでした。医師の中には、患者に処方された大麻をやめて一般的な抗うつ薬や睡眠薬に切り替えるように勧めた方がいました。現時点でもイギリスの医師の多くは、大麻は健康に良いというよりはむしろ問題を引き起こすと考えているようで、実際に2017年時点ではイギリスの家庭医の56.8%は大麻の非犯罪化を支持していないという報告がなされています。
②費用面の問題
民間診療における医療大麻のコストは高く、てんかんの子供に関しては平均して月に1816ポンド(34万円)の経済負担となっています。これによって患者家族は多額の借金を抱えたり、海外への移住を考えたりという負担を強いられているとのことです。
③システムと供給の問題
またお金さえ払えばいつでも適切な製品が手に入るわけではないようです。特に欠品は頻繁であり、必要とするTHC:CBD比率のフラワーの在庫が必ず常備されているわけではありません。イギリスは医療用大麻の生産国であり輸出国であるにも関わらず、供給経路が不安定であるために、患者の手元に製品が届くまでに、場合によっては17の窓口を経由しているとのことです。
④社会的なスティグマの問題
そして医療現場以外の日常生活においても、医療大麻ユーザーは様々な不理解や偏見に晒されていることが明らかになりました。啓発のために自分が医療大麻の正式な患者であることを積極的に周囲に伝える方もいる一方で、家族や友人にすら打ち明けることができない方もいました。
患者の多くは外出に際しては大麻と共に処方箋を携帯することを心がけていますが、それでも何人かの患者は警察からの介入を受けたり、フェスの入場を拒否されたりという経験がありました。他の調査ではイギリスの医療大麻患者のおよそ60%が、処方を受けることによって何らかのスティグマを抱えるようになると感じています。
これらの問題点から、著者らはイギリスの医療大麻合法化は表面的であり不完全なものであると論じています。また同じ問題は日本でも今後の課題となることが見込まれます。特に教育と人々の意識変容には時間がかかります。法改正の実施に伴い、日本の大麻を巡った報道や政府の薬物啓発内容にも変化が望まれることは間違いありません。
正高佑志(医師・Green Zone Japan代表理事)
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